進歩性に悩める弁理士のブログ

主に自己の業務の備忘録として思うまま書いていきます ※業務以外の雑談も

財前教授を思い出す

これまで実務に関する記事ばかりでしたが、今後は時折実務に関係のない雑談も書いていきたいと思います。。

さて唐突ですが「白い巨塔」というドラマがあります。古いですがそれなりの年代の方で知らない人は少ないのではと思います。非常に重厚な見ごたえのあるものでした。田宮二郎が演じ、その後唐沢寿明や、直近だとV6の岡田准一が演じているようですが、自分がちゃんと見たのは唐沢寿明のものでした。田宮二郎版以外は邪道だとかそういう意見もあるようですがここではそういう話ではありません。ただ、以下は唐沢版での話です。
白い巨塔では、財前教授という野心に満ちた大学病院の外科医が、こともあろうにがん治療を専門とする自分自身ががんにかかり、最後は志半ばで命を落とします。
財前教授には同期に里見という内科医がいて、性格は財前教授とは真逆であり、常に患者に寄り添った診察・治療を行っていました。その里見を、財前は何かとライバル視し、自分のやりかたが正しいんだと言わんばかりに事あるごとに衝突していました。ただ、財前は里見の内科医としての腕を高く評価していて、自分ががんにかかり、まわりのとりまき達(財前の部下である助教授、助手、講師達)が財前に対し本当の病状を隠すなか、夜にこっそり病室から抜け出して里見のところに行き、「俺を診察してくれ」と頼みます。
当然、正義感の塊の里見は当日の仕事が終わった夜間であるにも拘わらず財前のためにCTスキャンを動かし、自ら財前を診察して本当の病状を伝えます。肺がんが脳転移しており、余命数ヶ月であると。(もしかしたら1か月だったかもしれませんが)
そこで財前は、「里見、俺は死ぬのは怖くないよ。・・・・ただ、”無念”だ。」と言って涙を流します。財前は、国内で最高レベルの医療を提供するがんセンターの設立をすすめており、そのセンター長に内定していたさなかでの出来事でした。死を前にして、自分の死それ自体より、やり遂げようとしていた仕事がやり遂げられないことに強くこだわるとは、まぁなんと財前らしいというか、男として純粋にカッコいい訳です。
今風に言えば、このドラマはこの回が「神回」になるんだろうと思います。

本題ですが、安部元首相が銃弾に倒れた事件に関し、ふと上記の財前のセリフを思い出しました。政界の第一線に復帰するつもりがあったかどうかは判りませんが、やり遂げようとしていたことが当然多数あったでしょう。それが本当に国のためになることがどうかはわかりませんが、突如それが絶たれ、しかも財前教授のように無念だと思う時間すらなかった訳ですから、気の毒でなりません。